2018年4月15日(日) 曇り空の中、9時に出発。

 震災から7年が過ぎ、復興がどこまで進んでいるのか、この目で確かめるために三陸海岸に行く。今日は、仙台から気仙沼付近までを目標に車を走らせる。

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 金はないけど時間だけはたっぷりある身分ゆえ、高速は使わない。天童から関山峠を経由し、仙台を通過し、七ヶ浜へ。海沿い特有のアップダウンを繰り返し、小さな入江をいくつか通過する。道路には「ここまで津波が来ました。」という標識がある。

七ヶ浜の海沿いを走る道路。

うん、これはいい。津波がどこまで来たのかはっきりわかる。遠い将来、再び同じ震災が起きるとしたら、避難の目安になりそう。それぞれの入江には、立派な堤防が作られているものの、完成しているところは少ないよう。

どこまでも続く立派な防潮堤。七ヶ浜にて。

 せっかくなので、松島4大観のひとつ、多聞山からの景観である「偉観」を堪能。さくら吹雪がたいそう美しい。
 日曜日ということもあり、大混雑の松島はパス。奥松島を経由し、途中の野蒜駅で人休み。ここは、駅の2階に震災資料館が併設されている。大画面の映像は、7年経った今でもずしんと響く。このあたりも大きな被害があったことを再確認。駅には、津波が到達した高さが記されていた。

野蒜駅。震災復興伝承館とファミマを併設。
震災復興伝承館の展示物。

 津波被害については、南三陸町や大槌町などの大きな町がクローズアップされるが、太平洋側は一様に被害に遭っているという当たり前のことを再認識する。

 石巻は、7年前にボランティアに来た町。高速道路はゆがみ、ところどころで車がバウンドした。走る車のほとんどは自衛隊の特殊車両やトラック。なんだか怪獣映画のワンシーンみたいだと思った。街中に船が乗り上げていたり、瓦礫が巨大な山となっていた。ボランティアで入った住宅は、庭に自動車が4台折り重なっていたっけ。泥だらけの室内から家具を運び出し、泥をかき集めた。4月下旬にしては暑すぎる陽気の中、汗だくになった。

 今はその面影はない。一見すると津波の名残は見えない。開発は順調なのかもしれない。しかし、歯の抜けたようにまばらな住宅街を見ると、各個人や家族レベルでの復旧はまだまだ先のような気がした。

石巻の道路。矢印は津波の高さ表示。

 石巻を通過し、女川町へ。かつて丘の上にあった復興商店街は新しい駅のそばに移動している。「希望の鐘」も引っ越ししていた。シックでなかなか良い雰囲気の商店街だが、お客さんが少ないような気がする。賑わってほしい。がんばってほしい。

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女川駅前の商店街。

 商店街ができたものの、それはまだ街全体を支える規模ではない。街全体の底上げ事業と住宅の高台への移転は、これからも続く。

女川の町。工事は続く。
女川の町。かさ上げ工事が完了した模様。この土地に何が建つのだろうか。

 こちらに来たら必ず立ち寄ることにしている大川小。5回目くらいだろうか。でも、何度来ても心が締め付けられる場所だ。当時の様子を想像してしまうと、何とかならなかったのかとつくずく思う。今回はバスで来た一行が後ろの山の途中まで登り、説明を受けていた。おそらく津波から逃れることができただろう山道で、参加者は何を感じただろうか。

大川小にくると、当時のことを想像してしまい、心が乱れる。

 南三陸町。だいぶかさ上げが進み、かつての市庁舎は最上階が見えるだけになっている。復興商店街には「かつての店はこの地下10mの場所でした。」という説明書き。こちらの商店街も高台から移動していた。モヤイ像と一緒に。

南三陸の商店街
町庁舎は震災遺構として保存することになった。
商店街の周囲は工事中。
商店街も、10メートルの盛り土の上にできているのですね。

 南三陸町もそうだが、確かに工事は進んでいる。でも、まだそこに人はいない。整備がきちんと完了した後、元のように人が住み、集う町になるまであと何年かかるのだろうかと思う。

 19時、気仙沼のなんとか駐車場で車中泊。

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